途中経過(くそ長文)

途中経過(くそ長文)

明後日で終了を迎える、引きこもり3week

気づいたことをちょろり。

*ちょっとちゃんと書くよ!


少し前の記事で「健康的になってきた」なんて言ってしまったが、全然まだまだだった。
昨日、夕食をアイスと小さなおにぎりだけにしたら、

夜中に目が覚めて、深夜0時にトンカツを揚げてごはんを大盛り2杯食べた。
そしてすぐ寝た。そういうときは、ものすごいぐっすり眠れる。

太ることはよく分かっています。


僕は、【夜間摂食障害】というものにザ・当てはまる生活を、何年も何年も続けてきたのだけど、

(夜中に目が覚めて、意識・無意識問わず何かを食べてまた寝るという習慣。自分でコントロールができない。)

あまり治す気はなくて、

「健康的に暮らしてればいつか治るやろー」っていうくらい。


んで、家を買い引越しをしてから、その頻度がめっきり減った。というか、年々症状は良くなっているのだと思う。

一番いいのは、誰かがそばにいることなんだけど。

恋人でも家族でも友達でも、誰かがいるとちゃんと寝るんだなー。

知らないところでさみしいのかもね。ワタシよ。


ででで、引きこもりweekの中で、3食食べるようにしたり、主食を抜かない、とか、たんぱく質を摂る、とか、あったかい飲み物飲む、とか、
そういうのをやると、「食べて2度寝」っていうのをしなくなったから、よかったなーと思ったのだけど、

昨日は、「あんま食べる気ないや」と思って、夕食をアイスにしたのが間違いでした。自分を過信してはならない。笑

よく分かりました。

ということで、こんな誰とも話さない、自分と向き合うだけのただ暮らしをする引きこもり3week(2weekの予定が延長)を経て、僕がいまの時点で気づいたことは

◆「自分には、何もない。」ということ

◆それはつまり「自分には、自分だけがある。」ということ

あわせて「自分しか自分をつくれない」ということ。

ちょっと悲しい事実かな。誰かや何か、遺伝子とかね、そういうもののせいにできない。
*一人称を僕やワタシや自分にして、紛らわしくてごめんなさい。すべて筆者を指します。


まず、「自分には、何もない。」というのは、ネガティブな意味じゃないです。
私は、今までどうにか『意思』によって、

・自分に期待をしないように、とか、

・周りの期待を気にしないように、とか、

・人と比較しないように(傷つくのが怖いから)、とか、

そういうことを思いながら過ごしていた。

それが、一番生きやすい方法だと思ってね。
大事なのは、これが『意思』によるコントロールだということ。

つまり、『意思』がなければそうは思えない。

『意思』がなければ、自分に期待をし、人の期待を気にし、人と比較をしてしまう。そんな自分が苦しいから、『意思』によって、そうじゃない自分になろうと、考え方や捉え方を変えてきた。


そして、「それが意思によるもの」という自覚が本当はない。

「私はそういう考えだから♪」なんて、思い込んでいる。


でも、ほんの3week、自分のためだけに、全時間をつかった。誰かのためでも、誰かに見せるためでも、なんでもなく、(何度かそういう意識に苛まれながらも)感じたいままに、感じるように、暮らした。

そんで、「ただ生きてるだけ」の自分と毎日過ごした。なんの生産性もない、なんの進歩もない(あるけど、目に見える形ではない)。


私は、「そんな自分に罪悪感を抱かないこと」をルールにした。普段の自分なら、何か「価値」になるものを生み出したり残したりしたがってしまうから。
でも、「イヤと思ったらやめる」「やりたいと思うものだけやる」ことだけに徹した。
最初はうまくできないけどね。そんな自分を「ダメな自分」などとレッテル貼らないように、正々堂々と、公言?しながら、自分のしたいことだけをする。(つまり、寝て食べて料理してネイルしてラジオ聴くとか。)


そうやって、まず気づいたことは、「これが、本当に自分の感じてることなのか?」と、自分の感情に自信が持てない事実。もうね、分かんなくなっちゃうの。


私はもともと、根暗で引きこもりなので、自分と向き合う時間は比較的多いと思ってた。でもさ、自分の感情に気づく能力みたいなものが、とても欠けてたんだよね。「こうやった方がいいかな?」(←誰にとって?)「きっとこうあるべきだよね。」(←何に対して?)


もうずっと、こういう思考が刷り込まれてるんだよね。小さい頃から、『正義感』とか『優等生』とか『人気者』とかそういう『あるべき姿』の思考が私を覆っていた。と思う。


でも、「ただ生きてるだけの自分」をさ、もう現代に生きているとそんな時間を取るなんて相当相当相当難しいと思うけど、あえてやってみたことで、「私の感情は私のものでしかない」し、「私の命は私のためでしかないじゃん」って、思い始めるのよ。
詳しく書きます。

寝て、食べて、夜がきて、朝がきて、毎日それだけの繰り返しね。エンドレスリピート。

(次の仕事の予定が決まっているから、とりあえず先の暮らしに不安はないです。)


もう、案の定「なんで生きてるんだろう?」って思いだします。

誰とも話さないし、生存確認しなければ死んでも気付かれないだろう、という孤立具合で。


形あるものは、いつか壊れるし、命あるものは、いつか死ぬ。

それだけなのに、なんで生きてるんだろう?と考えはじめるわけです。

(健康なくせに、そんな過ごし方をしてけしからん!と思われる方も居るかと思いますが。続けます。)


「ただ生きているだけ」の毎日をすると、

「死ぬだけなのに、なんで生きてるんだっけ?」

「死ぬだけなのに、何に一生懸命になってたんだろう?」

と思えてくる。

今までは、生きてる先に何かがあるような、そのうち「良い結果」を生むような、そんな思い込みがあったのかも。


もちろん一度「生きてても死んでても変わらなくない?」みたいな感情が途中でやってくるんだけど、そこで「じゃあ死ぬか」じゃなくて(私の場合は生きていて辛いことが今そんなにない。生きていて辛いことがMAXなときはこの考えでいくと死んじゃうよね。きっと。)


「そうか、死ぬだけなんじゃん!死ぬだけなんじゃん!だったら死ぬまでの間楽しむしかないじゃん!どうせ死ぬし!」と思い始めて、
ここでさんまさんの「生きてるだけで、丸儲け」という言葉の意味が、はじめてしっくりきたのです。

今まで、とくに「ピン」とくる言葉でなかった。

「生きてるだけで、丸儲け」そうか、こういうことなのか。
死とは必ずやってくるマスト事項なのに、それに比べて生きるってすごく難しくて奇跡的なことであるはず。

しかし(健康が当たり前だと)それを気づくことができない毎日。それでも私は生きてる、生かされている。


ガチで死ぬだけだったら、もっと自分を大事にしてやらなきゃ。いつまでも否定して、嫌って、恨んで、苦しんで、結局そのあとに何が残るのよ?そう、それは「なにも残らない!」イエス、高須クリニック。


外部からの攻撃(人・病・自然・運、なんでも!)は避けられず永遠について回るもの。だったら自分だけでも、自分を大事にしてやらな!と。


「かわいくない」自分を否定してる。

「こんな態度したら嫌われちゃうかな」周りの目ばかり気にしてる。


嫌われたらあなたは悲しいの?

NO!!→「嫌われてもいい」と思えるほど、自分の考えに自信を持っている自分の方が好き。なのにそれが全然できていないナウ。妥協して自分を下げるばかり。


「かわいくない」自分を、諦めているナウ。諦めるな!自分が一番自分を可愛いと思え!自分しか自分のこと可愛いなんて思ってくれる人いないぞ!大事にしてなんぼ!人生は自分のため!


<ここでおすすめ情報>

◆【本】きりこについて(前に感想書いた記事

◆【動画】すうれろちゃんのyoutube動画

自分で自分を認めよう、認められる自分になろう。

すべては自分!謙虚さが美徳なんて思っていた自分よ、そんなものは自覚がある時点で終わっているぞ。本来の謙虚さとは、無意識下で自然と現れて成せるもの。意識しちゃってる時点で、お前は謙虚じゃないぞ!笑


私にはなんにもない、それをよく自覚して、そのうえで自分を自分で全力で肯定する。


そうすると、肯定できない自分も出てくる。だったら、肯定できる自分になりたいな、と思う。自分がやりたいことだと、人は苦なく取り組める。(むしろちょっと楽しい)
ああ、自分を自分で大切にするって、こんなに尊いことだったんだな。なんでこんなにいじめ続けていたのだろう。酷使し続けていたのだろう。よく噛まずに食べて、胃に食べ物押し込んで、ごめんね「胃ちゃん」。

ろくにマッサージもせず放置して、歩きまくってカチカチになった「足の裏さん」。

ああ、ちゃんと思いやってあげないと。ぜんぶ尊いなーって。(頭おかしい人じゃありません、たぶん笑)そりゃあ、ブサイクになるわ。


そこで気づくのです、「あれ、こうやって、自分が自分を(思考や身体を)つくっていくんじゃないか?」と。

普段の考えや思考が、その人の表情や姿勢をつくる。

そこからさらにの心や頭に影響しあって、身体と心が相互作用で、その人がつくられる。まさにそういうことか。


ああ、見た目からでも中身からでも、なんでもいいから、自分のすること、食べるもの行くところ、そのひとつひとつが直接的に今の自分を形作っているんだという事実。

これ、なんと自覚することが難しいか。特に私の場合は、身体と心がだいぶ麻痺してしまってるから!


自分の睡眠欲や食欲に蓋をし、たくさんの情報に左右され、『意思』の力で無理やりコントロールしようとし、心と身体の正しい信号が、受発信できなくなってしまった。


少しずつ、少しずつ取り戻しているけど、そのためには自分の身体や心を思いやって、ちゃんと向き合って、本来の感覚を呼び覚ますしか、なさそうです。


繰り返しになりますが、「自分にしか、自分をつくれない」という事実。


親のせいでもない、学校のせいでもない、社会のせいでもない、だって過去はどうにも変えられないから。そんなものに縛られてたって結局なにも解決しない。残された人生を、自分の「気持ちよく」過ごすためには、「自分で人生をつくりだすしかない」そう、すべては自己暗示!


こういう考え方をするとね、どこに行こうが、誰に会おうが、揺らがない「自分の幸せ」を自分で掴みにいける。誰かのせいにしたり、誰かの目を気にして自分を殺したり、依存したりしない。


あ、でも決して「孤独に生きる!」みたいなのとは違うんですけど、それについてはまた今度。

ということで、僕はもっと「じぶんかわいー!♡♡」「じぶんだいじー!!♡♡」と思って、正々堂々と生きることにした。大人になって、そういう思考は恥としてきたものをね。できるかはまだ分からないけど。笑

やってみてなにかあるだろうか?分からないけど、日々人体実験!!
人生はなるよーになーるーということで、思いに任せて綴りました。ウッフン