自分のしあわせは、自分だけが知っている

自分のしあわせは、自分だけが知っている

これ、真理だと思ってるんです。

酔いに任せてどんどん書いていこうと思う。

はっきり言うけど、結論は「自分」だから、みなさんがんばってください。

だれかに答え求めたって、どこかに幸せを願ったって、それはまず叶わないよね。叶わないってわかってるならやることやろうね。

なにやればわからないっていう人は、はっきり言うけど「自分で考えろ」だよね。

答えを周りに求めている自分をまず認めようね。それが悪いとかいいとかじゃない。そんなの関係ない。「自分」がいろんな自分を認めてあげられるようになるといいよね。

たくさん、思いも思考もこだまするけど、わたしの頭と心のスピードにもう自分自身でもついていくことができないのが現状。

あまりの速さに、自分でも追いつくことがむずかしい、必死です。

わたしは数年前、いろんなことにさ、「どうしたらいいだろう」「自分はできることをぜんぶやってるのに、どうしてうまくいかないんだろう」

的なニュアンスの考えをした時期がある。

だけどやっぱり徹底して今も共通しているのが、

「頑張ったからって答えが返ってくるわけじゃない」

ってことなんだよね。この世の中においては。

この考えをベースに置いておくと、見返りを求めるという発想がゼロになるからわたしは心地がよくてそうしてるんだけど。

で、これは真理じゃなくて。

「頑張ったからって、そこではなにも結果はでない。だけど、頑張った自分のなかに確たる美しさがある」

わたしはそう思ってる。

たとえ、どんなに無益な頑張りでも、なんの役に立たなくても、誰にも気付かれなくても、はちゃめちゃでも。

「頑張ることは美しい」

あのね、別に「ガンバル」ことを美化したいわけじゃないの。

「がんばる」って、ちょっと勘違いするとさ、自分がすべきじゃないことに無駄に労力を費やして空回りすることにもなるんだよね。

好きなことだったら、人って「ガンバル」の意識なんてなくてもがんばっちゃうから。

あのね、見返りを求める人はここが違う。

正直わたしは、できれば「がんばらなくていい」と思う。人間は。がんばらなくても、実はうまくいくようにできてる。

だけどそれが崩壊してきているから、人はお金や知識や技術を買ってでも、その「頑張らない方法」を探ろうとする、逆説的にな時代がきてしまったんだね。

だけど実際、この世の中で「ウマく」生きていくには、ある程度「頑張って」でも乗り越えてかなきゃいけないことってある。

わたしはある程度この世の中で「ウマく」生きていく方法を身につけながら、「がんばる」自分に呆れながら、それでもなりたい自分でありつづけてると思う。

結論は、「自分」なんだ。

そこに気づくが早いか遅いかはさておき、結論はそこなのだ。

だからもう、今わたしが出せる答えは、

「がんばりたきゃ、頑張れば?」

「やりたいなら、やれば?」

「それで幸せなら、やれば?」

それだけ。

答えは自分の中にしかないから、わたしができるのは

「その人が自分を見つける作業を手伝うこと」

だけなのよ。

わたしは答えを持っていないし、わたしはいいアドバイスできるわけない。

だけどわたしにできるのは、その人自体をその人として認められる作業をお手伝いすることだよね。

人ってさ、ずっとつらいの。なぜなら、つらい状況に生きることを望んでいるから。

そこを離れちゃえばいいだけなの、でも離れる決断ができない人が大半なの。世の中って厳しいよね、サバイバルだよね。わたしは人のよいところを見つけるのが得意なんです。それを自分のことばにして伝えるのもできます。

だけどこういう存在って意外といないのよ、周りに。自分のよいところをストレートにそのまま大げさに褒めてくれる人。いる?いたら最高だよね。わたしはそんな人だと思ってる、自分を。基本、人のよいところを見つけるプロフェッショナル。そしてその人の存在を全肯定するプロフェッショナル。(もちろん無理な人はしない)

この世の中には、そういうことを本当にふらっとな状態でできる人って少ないのよね。マザーテレサ?知らんけど。ぜったい自分の偏見や卑屈さが出てきてしまう。

そこ、すっ飛ばしてさ、死ぬも生きるももうぜんぶ認めよう。人と比較するのをやめよう。なぜならあなたのしあわせは、あなたしか知らないからだ。

あなたがしあわせなら、それでいい。そして、あなたは「自分がしあわせ」と思うことは何かを知っているだろうか。知らないのではないだろうか。

どうにか、思い出せる作業をしていこうね。自分を知る作業をとことんしてみようね。

答えは待ってても出てこないよ。自分のなかにしかないよ。

なんてね、眠いわたしの妄想ひとりごとですおやすみ。