映画『コクソン』観てきた

韓国映画のがっつりしたやつ観たい系なやつ。
映画『チェイサー』で、かなりの衝撃を受けたナ・ホンジン監督の作品。


私はグロい系も怖い系も暴力系もエロい系も、結構なんでも観るのですが、

韓国映画って、本当にレベルが違って、

もう、チェイサーもだけど、口をあんぐり開けながら、

手で目隠ししながらじゃないと観られないような、

大変衝撃の濃ゆい作品が多く、あまりお金を出して映画館って行かないけど、

今はそういう作品をがっつり観たいモードなので、第一弾として、『コクソン』観てきました。
コクソン 公式ページ

あらすじとか、レビューみたいなもの、変に決め付けたくないから普段残さないけど、
2017年の目標は「伝えることから逃げない」なので、少し文字起こしの練習をここで。。笑


◆あらすじは・・とある村で謎の殺人事件が勃発。その村の警察官が主人公。どんどん事件に巻き込まれてゆく中、現れる登場人物の怪しさ。いったい誰が何なのか?この事件の真相は??どんどんストーリーに飲み込まれてく、ゾンビ映画、です。(全然伝わらない、笑)

※ネタバレとか気にしませんので悪しからずー


◆感想は・・・まあ、観終わったあとのどきどきが、抑えられませんでした。

しかし、物語の解説は、もう誰かに託そう、と思った。

頭のいいだれか、伏線とかいろいろ引っ張って、答えをおしえてちょーだい。って感じ。

全然分からない。しかしだね、あの『チェイサー』の監督だ、それは現代に通ずるメッセージが色濃く反映されてるのだろう。

それを、ひとそれぞれ、どう受け取るか?なのだね。多くの人が感想で、「真実はひとつもない」みたいなこと、言ってた。


でもでも、これがキリスト教の話であることをもっと現代と絡めて理解したいなって、私は思いました。


すっとんきょーな感情まみれのダメダメ普通の親父、その大事な娘、家族、警察の同僚や街のひとびと、祈祷師、白いワンピースの女、なぞの日本人、クリスチャン。。。そして毒キノコによる健康被害。たくさん出てくる動物たちの死。

キリストが、このルカ福音書第24章で言っているのは、「疑念を創り出すのは、自分自身」っていうことなのかな。

最近読んでいた宗教の本で、キリスト教の教えで大事なのひとつとして「待つこと」みたいな部分があるの。


「待つ」という、そのタイミングを間違えて、人は感情にのみ依って動き出し、騒ぎを起こし、自ら災いに遭う。


「自分自身の信じるもの」への感度が薄れた情報社会への皮肉、なんかもあったりして。

自分だけで、決定出来ない。

そういう社会で生きてしまっている。本当に大事なものを、見失いませんか、と。


祈祷師、女、日本人の存在、悪魔の存在、も、正直私は、みんな普通の人間だと思う。

不思議と、あの役者さんたちが、本当に人間らしく思えたからですけど。


もし悪霊とか、人間味のないものという設定なら、そういう役者さんを抜擢するだろうしなー。なんて。みんな、普通の人間ぽかったよねぇ。

ただ誰をどう見るかっていうのは、被写体ではなく、見る側に一存している。それだけのことじゃないかなー。


あ、まさにこうやって、それぞれがそれぞれの視点で、思ったことや感じたことを話したり文字にしているってことが、ナ・ホンジン監督のさせたかったことなのかも。
誰が犯人とか、そういうことじゃなくて、「あなたにはどう見えたの」ってこと、試したいんじゃないかな、聖書を通して。
疲れてきちゃったので寝ます、また韓国映画観てきますー。