心を開くということ

心を開くということ

お盆ですねこんばんは。最近は人事のお仕事がお盆休みのため、お料理のお仕事や人に会ったりなど愉快に過ごすことができています。そこで、また自分と向き合うことになった。しかし、これまた疑問に思う。なぜ自分と向き合う必要があるのか?今の自分に不満足だから、何か解決口を見つけたくて人は自分に向き合うんだろうな。そして人の成長は止まらないから、一つステージが上がると、またさらに次のステージに上がろうとする。その度に、今の自分の欠けているものを探ろうとする。そんな感じがしているけれど、そもそも今の自分に満足をしていたらそんなこと考えないし、自分探し的な何かをやったり占いやセラピーをやったりしないんだよな。その辺を人の時間の流れに自分も流されないようにしたいな。わたしは今、問題のないところに問題をつくろうとしているような感覚がある。だから気が引ける。だから気がのらない。そんな感じである。

わたしには悔しさや負けず嫌い、嫉妬心という感情が欠如しているのですが、それは小さい頃に父と別れたことがショックで自分のなかで消してしまった感情なのではないかと指摘された。わたしは幼ないときお父さんが大好きだったし、まぁ別で暮らすってなったときはギャン泣きした記憶はあるけど、その頃の感情なんぞ1ミリも覚えていない。そして高校生になってから再会したときの冷めきった感情と、大人になってからお父さんのガンと直面したときも心が1ミリも動かなかったという事実が、わたしって冷酷だな、人間なのかな、心を持っているのかしら、などと疑問になるだけだったのです。お父さんがいなくて寂しいとかもっと愛されたいとか、わたし思ったことないのよ、これね、本当に本当なのよ。きっと「強がっている」などと思われそうですけども、本当だから仕方がない。それはきっと、お母さんがその分ぜんぶ補ってくれてたのよね。だから自分が愛されていないなんて思ったこと一寸もないし、むしろ愛たっぷり注いでいただいたから、わたしも愛たっぷりで生きていこうって思えるから、損得勘定がわたしに影響しないのはそういう背景だと思う。きっとみんな父に原因を置いたら分かりやすいから、そこを探ろうとするけど、あいにくそこではないとワタシは強く感じている。まったくもってそこではない。今たとえば3歳のわたしが、お父さんがいる暮らしと、いない暮らしを選べるとしたら全力でいない暮らしを推したいし、選んでほしい。お願いだから間違ってもいる暮らしを選んじゃだめだよ、甘ったれな人生が待っているぞ、などと思います。

ということでわたしがわたしに向き合うことも大切だけど、さらに社会について向き合いたいという好奇心の方がまったくもって強いので、社会派映画や文献をふたたびみていこうと思います!とことん自分と向き合ったあとは、特別な能力をほしがったり誰かに役立とうとするのではなくて、自然と使命によって動かされるだけだと思います。やみくもに進むのはナンセンスなり。ありがとうございました。