壮絶ということ

壮絶ということ

こんなことをあげっつらに言うことではないのだけどこんにちは。あまりにもあまりな感じなので、書いておきますね。10月後半は、働いている会社間トラブルで訴訟問題勃発し、仕事が突如変わり、11月前半は父が死に恋人と別れ、まあまあな感じです。それでさ、昨日と今日とで本当に人生の壮絶な模様を拝見した気がするけど、人生ってきっとそういうことが付きまとうもんなんだろうなぁって思います。

本当にこんなこと書くことではないのだけど、うちは貧乏で父暴力で借金あって差し押さえあって、馬乗りにされている母とかモノ投げ合って首絞めあって、床には血が流れている風景とか、泣きながらやめてって叫んだこととか、別に思い出ではないけど見たことがある経験としては持っているのだけど、正直私にとってそれは本当にどうでもよくてさ。過去を恨むこともないし、人を恨むこともないし、それによって特に影響を受けていることがないし、今の自分が好きなので、今の自分をつくった経験としてはむしろ貴重な体験だったのではとすら思っているレベルなんですけど、人ってさ、人ってもうどうにもならないくらい怒るときがあるんだよね。

それも、本当にこのままじゃ人を殺すんじゃないかっていうくらいすごい力と怒りを出すことがあるんだよね。そのエネルギーって本当に不思議で、本当に手に負えなくて、本当に怖いものなんだよ。そこに服従することしかできないくらい、もう意思疎通が成り立たないの。野生の動物を相手にしているような感覚で、それってさ、心理的なものなんだよね。きっとその人の抱えている心の負債が、爆発をしたときにものすごいエネルギーを発する。だから心に負債を抱えないように、小出しにしていかなきゃいけないんだけど、もうこの時って理性なんてないのよ。理性なんてぶっ飛んでいて、どうにもコントロールが効かないの。ああ、みんながさ、そんなに背負わなくったって大丈夫な世界にならないかなぁ。自分だけの世界に閉じ込められず、感覚を共有して地球全体のこととして考えることできないかしら。なぜ自分VS他者になるのかしら。なぜすべては勝負、勝ち負け、損得になるのかしら。結構わからないんだよな〜〜〜〜〜。なぜその間がないのか、ベースとして「両者ハッピーにするにはどうしたらいいのか」という発想が生まれないのか、なぜ言い合いをするのか、

意見を出し合って、相違点を見つけて、そこが妥協できるのかorできないのか、を考えて、NGだったら決裂すればいいし、それは双方同意の上で「お互い分かり合えないから仕方ないですね」で離れればいいのに「なんでわかってくれないんだー!俺が間違っているのかー!うおー!」になる心理はなんだろう。すごく不安や孤独があるのかもしれない。誰かに認められないと自分の整合性も取れないのかもしれない。不思議である。それを教える教育を施したほうがいいんじゃないかなぁ。争いごとってなんだか寂しさから生まれる気がするよ。きっとみんな孤独なんだ、それを紛らわせるために怒ったりなんつってねん、さすがにちょっと寝ますん