中2病のわたしのひとりごと。

こちらは2018年お年賀としてマイファミリーにお送りしたお手紙の一部。先ほど画像をいただいて、我ながら中2病がひどいと感服した。 

後ろにぼやけてる封筒の文字は、左手で描いた模様。

この封筒はダイソーに売っていてとても可愛いよ。

中身には「一千万円で牛をかって牛乳を売ろう!」などの抱負が書かれていて、我ながら読んでいて愉快になれる。たのしい。  

さて、私が2018年でいーーーちばん痛感した、感じたことを記しておこう。

それは「ひとりじゃあかん」ということや。 

わたくし、ずっと一人でいきてゆく自信があった。

一人で生きていっても、幸せだ、楽しい、っていう自信をなぜか持っていた。

だから結婚とかムリムリムリムリ、恋恥の最終回で、星野源とみくりちゃんが「二人でいたら大変なことも増えるけど、喜びも倍になる」的なノリの発言を聞いて、母と二人で「それなら苦労一人分で、喜び一人分でええやんね。」と激しく共感したことがありました。 

ちなみに私が言う「ひとり」の定義とは、お友達や家族などの存在はいるとしても、「どこかの特定したコミュニティに所属せずに、浮浪してても大丈夫」的なサムシングなのだと思います。

だから、「結婚して家庭に収まる」的な発想はとーっても無理だった。

だってひとりが楽だもん!だれかといたらね、そりゃあ問題増えるし、面倒くさいし。一人が楽々、私それで幸せってね。   

そーんなわたくしが、いやぁ見事に考え逆転しまして。「あ、ひとりでいるだけじゃ得られなかった楽しさ、幸せ、喜びって、こーんなにあるんだ」って。

「あ、誰かのために、自分の力を使いたいって。自分のために、この人の力が必要だって、そう思える人がおるんや!!!」って。 そんな存在の人に出会えた奇跡であります。よかったね、私。一応ちゃんと生きてきてよかったね、ちょっと道を外したこと、無きにしもあらずですけど。

どんな時も自分の心に正直に(なるべき時でないときも正直に)生きてきた甲斐がありましたかね。 一生恋できないと思ってた。私には向いてない、そう決めていた。

それを知ってくれてる愛するフレンズがいて、もう家族というか私の脳の一部の存在がいて、それで十分と思ったりしてた。いっぱい面倒かけながらね。

そして、愛するマザーもそれをよく理解してくれて、私に結婚を押し付けたり、期待したり絶対しなかった。この子は結婚しーひんやろな、そう思ってもらってた。それが私にとってはとても楽で、理解あるマザー最高フー!となっていた。 

でもね、マザー!ちゃんと恋をしたよ!あー、この人生かさなくちゃ、絶対死なせちゃだめだ、となぜか自然に思える人を見つけてしまったの。意味わからんけど、そんなの意味も理由も存在しないのだ。 ニオイとか、声とか、いろんなエッセンスがあるんでしょうけど、私の本能的に、もう抗えない何かがここにあるんですね。

生命って不思議だよ。エネルギーの力ってすごい。

私はちゃんと生物として、持てるエネルギーを使おうとしているような気がするよ。 

ひとりよりも二人のほうが、得られるエネルギーも足し算じゃなくて掛け算で、何倍にもなるよって私はそう思うよって、そう思うことがこれからどうなるのかって、見ものでございますね。どうなるんでしょう。ずっと続けばいいね。どうなるんでしょう。

衣食住、生活することはこれからもずっと飽きずに続いていく。

その循環を保てたらいいなぁって思います。エンドレス脳みそ、エンドレス生活、死ぬまで、いや死んでからも続いていくのかもしれない。

日が昇り日が沈む、春がきて夏がきて秋がきて冬がくる。

自然の循環は飽きもせず、ずっと続き、ずっと感動を与えてくれる。

それは常に同じ答えをくれないから。予想できないからこそ、人は感動する。

生きとしいけるものの変化を怖がらず、変化を受け入れ、変化に感動できる感性を、持ち続けられますように。 酔っ払い中2病の戯言でした。