あたくし、気持ち的にはもう2023年。

村松健さんっていうピアニスト?作曲家?の方がいましてね、それはそれはとっても心地よいピアノの音楽を奏でてくださるのですけど、わたくしはこの方を父きっかけで知りましてね、村松健さんの昔からしている曲が流れるたびに父を思い出すわけですけども、ここでいう「思い出す」は文字通りの「思い出す」でして、わたしのなかに父っていう存在は本当になくて、この曲で「あ、父死んだんだ」って思い出すわけです。そして、父の死の連絡を受けた日から葬儀に参列して父の死んだ姿を目にした日からこれまで本当に何一つ変わっていないのですが、わたしは本当に父の死に対して感情がない。

人は死ぬ。という感じだ。ただ事実がある。わたしは父との思い出がいっぱいある。そしてどれもたのしい思い出だ。(成長してからのわずかな思い出はそれに限らない)ピューロランドに行ったり、父の運転する車に乗って出かけたり、シルバニアファミリーで遊んだり、コインランドリーの帰りに自動販売機でジュース(紅茶花伝が大好きだった)を買ったり、今思えば恐ろしいほど狭い小さなアパートに寝泊まりしたりして、でもそこには幸せがいっぱい詰まっていて、立派なおうちもおしゃれな服もたくさんのお金もないけれど、それはそれは幸せな時間だったなって、これはその当時のわたしがつくづく思ったであろうことを、いまの自分が思い出して書いてみている。

それから成長するにつれ、父とは疎遠になり、わたしは母の味方をするようにして父を嫌った。今は嫌いとか好きとかそんな感情はもはやなくて、それぞれにそれぞれの人間だったなぁ、同意も同情もしないけれど、それぞれがそれぞれの人生を生きたなぁと解している。

コロナという状況下で人々は旅行やレジャーの制限が課せられ、「そろそろ外に出たい」的な欲求(すでにもう外に出ている)などが散見されるわけですけども、わたし自身改めて遠くにいくことは3年に1度くらいがいいなぁって思いはじめてきた。なぜならこのように繰り返される毎日はどれも同じじゃなくて、毎日毎日ちがうことが起きて、そのどこにも飽きる要素がないからだ。だからこそ、日常を繰り返すことがレジャーであり、幸福の循環であり、そこに人生のすべてが詰まっている。先日NHKで建築家・阿部勤さんの「中心のある家」が放映されていて、ああ、それだ。ってゴッソリ納得した。津端夫妻の「時をためる暮らし」もそうである。暮らしが中心で、そこに哲学があり、自分を囲むすべてのものが共生の関係にある。スペシャルラブプライオリティーシートだ。(なんのこっちゃ)

人との比較に依らない自分だけの価値観を尊厳とともに持ち合わせて生きることに舵を切る人々は美しい。わたしは今も自分を大切にしているライフだけどまだまだ幼少期、もっともっと自分を大切にしているライフの発展を遂げて「ここにしかないわたしにしかわからないしあわせ」(ひらがなにしたらしゅごいね、)をやりきって過ごしたいよねぇ。哲学と美学だよ。哲学と美学?なんていい響きなんだ。哲学と美学と奇学。なんつってー。

 


1日を終える時間になりまして、ちびたそがお眠りになったのでノンアルビールとあんこで夜仕事。本当はもっともっとやりたいことがたくさんあるけれど、今日のところはおとなしくしておこう。


と、ここまで書きながら、また数日が経ってしまった。このところまとまってブログを書くことができない所業。書きたいことなどはわんさか蓄積系。数日間お子&自分が体調崩してスクラップ&ビルドしてたんだけど、今週から持ち直せそうかな、というところ。そして今週からまた新しいスタートをはじめます。

「今だな」「今じゃないな」みたいなのってなんとなくわかるのと、「これは覚えておこう」「この情報は必要だ」っていう感覚は脳ではなく体が覚えるんだなっていうのは、このところ長らく体感している。これぞ”無意識”ってものが成せる技なのだと思いますが、人間が脳内で認識している事象って本当にちっぽけで、意識でできることはめちゃくちゃに限られていて、その分体験や感覚によっておのずと装着(?)されたサバイバル力のほうが相当に役立ったり大切だったりする。だからほんの少しの違和感は、いちいち拾っていったほうがいい。そして、ほんの少しでも興味・関心が湧くものは一瞬で触れにいったほうがいい。タイミングを逃すとご縁がなくなることも多々。タイミングとそのときのアクションが大切だと強く思う。今朝、ちびさまが盛大なる嘔吐をしましたので、なんだか部屋から嘔吐臭がしているきがする。拭いたけど、拭いたけど、たぶんまだどこかに飛散物がござる。ござるって、丁寧語だよね、、?知らんけど。「御在る」みたいな意味じゃないかな。知らんけど。

 

これからの毎日をどうやって過ごすのかは定まってない(複数選択肢あり)けど、ここまで自分の感覚を野放しにできる毎日が心地よすぎてやはり野となり山となりたい。どこの野となり山となるかはまだ未定。おたのしみに。