本日もまた、思うままに綴ります。

PCなので、さらに長くなるわよ!
今私は自分の運の強さに日々感謝していて、ほんとよかったなーと思うのだけど、


このままラッキーにまみれて過ごすのではなくちゃんと、

芯を毎日毎日、崩壊しては組み立ててそれを繰り返していかなくてはだなあと思っていたのでした。


これをさぼったら、何も考えられない周りからの情報でしか思考が作れない輩になってしまうと思ったのだモンくまモン


やっぱりこのまま文章を書くことがどんだけ楽しいかを改めて思い出してしまったぞ。3月後半は文字創出活動もしようぞ。


3月は、情報を遮断します。

新聞とラジオと手紙に限る。ラインやフェイスブックなどは見ない。そんな暮らしで、本を読んで過ごします。その中で、少しでも文字を残せたらいいな。

日々感じていることを、記録にし、今後の自分の糧とするであります。
「来るもの拒まず去るもの追わず」
的な暮らしをしてたと思うのだけど、私、実際は来るもの拒みまくってるやないの、と思う。


四方八方からくる、選択肢や可能性をシャキンシャキーンと遮断し、欲しい光だけ見つけてはキャッチして、全然拒んどるやん、と。

だから、一体自分がどんな風にこの道を切り開いてきたのか謎だけど、たくさんの人の言葉を経由して伝えるのであればそれは直感なのだよと。


あーいつか、本当に意味不明の小説を書きたい。

しかし、1万人分のひとりくらいは、その意味がわかるような、そんな小説。書きたい書きたい!!わくわく。


私には守りたい心がある、それを守るには、安全で安心な住まいがほしい、
様々な邪念から逃れるために、最低限の身なりは必要。


人の目を気にしないことができないのは、自分の欠如している自覚に苛まれているからそこをどうにでもカモフラージュできれば、どこかに行くこと、何かをやること、も「心」で率先できる。


いろいろな、不安定な要素が多いと、(わたしはぶさいくだ)(わたしはでぶだ)(わたしはくさい)(わたしはひとがにがて)それを気にして「心」よりも「頭」が優先される「頭」で考え、「心」が蝕まれるそうして行動が変わる。行動が制限される。

これは日常茶飯事で、本当に苦しくひどいことだ。これから逃れるには、手っ取り早いのは「金」だ。「金」は便利だ、いろいろな理由をつくれる。説明も不要になる。


「私は心が優しいです」ということは、どうにも簡単には説明できないその人との信頼関係を築く何かがないと成り立たない


しかし「私は金持ちです」は簡単だ、金を持っている経験と物品でどうにかなる
そして世の中は、金の持っているやつに弱い金を持っているやつには、あまり悪いことしない自分の「損・得」を考えるからだろう


(敵に回してはいけない、味方につけとこう)みたいなやつ。

これは非常に便利で、金を持っていればいろいろな説明が不要になり、なぜか人はその人に対して冷たい目を抱かない


というのは嘘で、金を持っている安心感と、経験による優越感から「自分に自信を持っている」状態に正しくは錯覚に?陥る


だから堂々と突進できる


この技を借りることは、なかなか有意である、なぜなら、心だけでその境地にいくのは、あまりに強靭すぎるからである


人は、自分の経験や所有物などで自分の思考をつくり、そして自分の不安によって取捨選択をしていく


生身のままの人間で生き残っていくのは非常に難しいのであるなあ


私もいま、結局、「自分に自信の持てる装備」を身につけて初めて、やりたいことに素直に向かえることに気づいたこれは、非常に胸が痛い


「自分に自信の持てない装備」だったら、進めないのだ。私は結局、周りを気にしているのだ。

周りからみて、最低限のものを整えて、「あの人変だよ」と思われないように、様々なシーンに合わせて自分を演出して、当たり前のように、社会の一員となった。


そんな社会の一員になったぼくは、社会の一員であることから逃れられない
ここが心地よくて、暖かくて、幸せがたくさんあるのを知っている


私がここから生まれ、ここで生きて行くことも知っている

だけど、どこかおかしいことも、よく気付いている。

「おかしいんだよ」とはっきり言えなくて、

人と距離をとり、遮断し、

自分の世界だけに浸ろうとしながら、

「そんなことは不可能なんだ」と気づく


結局は人間だもの(人と人の間を指す、つまり社会的な生き物としての人を人間と呼ぶ)


誰かと繋がる喜びとそれによる苦しみは、同じ分だけあるのですね。
おやすみー!