お疲れタイムなう

お疲れタイムなう

まじで、意味なく文字を投稿するのがわたしのライフワーク。ちゃんと読む価値ある記事は、あした書くね。もう今日は書かないよん。思うままに脳内ダダ漏れ系を書くよん!

映画『バーレスク』を観た。夢中で夢中でみた、観ていたら時間が本当にロケットくらいの速さで消えた。クリスティーナアギレラを初めて知った。音楽は聴いたことあったけど、うーーん、控えめにいっても最高かよ、な時間だった。最高すぎて、ずっと観ながら踊っていた。あんな素敵な映画たちを観るために、ある程度大きな画面(スクリーン)が必要であることを実感した。っていうかわたしには今映画を観る術がないので、映画館にいくしかないので、過去の作品を観ることができない。悲しい。だれかネットフリックスに加入している彼氏がほしい。降ってきますようによろしくお願いいたします。

今お仕事終わって、お片づけしてクリスティーナアギレラ観て、家で金麦を飲みながら酔っ払いはじめているんですけど、この幸福感をもたらしてくれる金麦をつくる人にわたしはなりたい。こんなに簡単に人に幸福感を与えられるのは、金麦かソフトクリームの2択だと思う。金麦を飲んでいる人と、ソフトクリームを食べている人に不機嫌な人はいない説に1票投じる。そんな選挙がないことはわかっている。

味噌をつくろうと思っていたけど、本当につくるかどうかは明日のわたししか知らない。明日は仕事するDAYになると思っているから、どうなるかは知らない。豆カレーをつくろうとも思っていたけど、本当につくるかどうかは明日以降のわたししか知らない。そんなもんです、自分のことは自分が一番わからない説。

なんというか「意思」ってあくまで「意思」だから、確たるものではないのよね。だって「意思」って変わるもん。お察しください。痩せよう、といったとたんにチョコを食べるのはわたしです。悔いは、ありません、いまのところ。

今日ひとりで過ごしていて思ったことは、「自分が美徳とするところはどんなに時代に逆境しようとも大事にしよう」ってことと、「たくさん働いていてこの稼ぎってやばくない?」ってことです。投資って思えばいいですか?え?

いや、だけどだけど、去年の6月、わたしはスッカラカンだったんだ。三十路の独身彼氏とも別れて、キャリアも捨てて、もうなーーーーーーーーーーーーーーーんにもなくなっちゃったのよ。わたしには上昇志向も出世欲もないし、お金にも男にも興味がないから、まじで「自分」という存在がぽかーんと宙に取り残された感じ。あれ?どうしたかったんだっけ?と30年間を振り返る。

たぶん、本当に素直に、わたしはお金以外の豊かさを知ってしまっている。だから、どこかでそんな自分に安心しているんだと思う。もちろん、俗世で「もっと立派な大人にならなければ」「かっこよい仕事しなきゃ」「それなりの生活水準保たなきゃ」みたいな無益な想いが生まれないことはない。

だけど、たぶんそんなことをしているうちは人間だよ。(いや、人間なんですけどw) 本当に大事なものって、映画や歌や本などで、たくさん語られている、みんながそれに共感している、だから、みんなわかってる。

本当は、見栄でもお金でもステータスでもない、そうじゃない大切な何かがあることを。みーーーーーーーーーーーーーーんな知ってる。知ってるのに、目に見えるものしか大事にしたがらない。本当に大事なものは「目に見えないもの」だからこそ、怖くて、向き合いたくなくて、避けようとしちゃうんだよね。うん。

わたしはたぶん死ぬまでに、それを証明していくんだろうな。本当にそれだけ。「大事なものがある」それを伝えるだけなんだと思う。あーそれはとてもよくわかる。わたしが教わったことを、必要としている人に伝えるだけなんだ。人間に若いも老いているもないのよ。それに気づくのが何歳だろうが、2歳だろうが三十路だろうが65歳だろうが関係ないのよ。みんないつだって「ヨーーーイドン」だよ。人には人のレースだよ。誰かと競争なんかじゃないよ。だから勝ち負け決めるのいい加減やめにしようよ。くだらなすぎませんかね。。

さて、みんなそのわかってることを確認したくて、映画を観たり本を読んだり、音楽を聴いたりするんだよね。わかる。このカルチャーってとっても大事。精神安定のために大事っていうか、音楽と酒と占いはどの時代、どの国にもあるんだよね。(って勝手に決めつけてる。)

「占い」って医学の原点だから。「病気がなくなりますよーに」ってんで、謎の葉っぱを飲んだり、滝に願いを授けたり、さまざまに人は「治療」的なことをしてきた。根拠がなくても、それって占いだから。運命だからさ。なんていって納得しちゃうのよ。

最近わたしは結構「避けられてるな」って思うことがある。そして、それは自分にも経験があるからすごくよくわかる。人は、自分よりエネルギーが強すぎる人間に会いたくないと思うことがある。それは、劣等感とか恥ずかしさが原因であることがほとんど。

「今の自分じゃ会えない」「恥ずかしい」みたいなそういう感情が邪魔をする。そしてわたしはその「今会いたくない」を最近強烈に受けている気がする。むしろ今のわたしと会ってもらえる人はなかなかのタフネスピーポーのみである。不思議だ。

わたくしはいいも悪いもいろいろ「見透かす」力がすごいから、会いたくないと言われるのはごもっともである。そりゃあ普通だったら避けたいのかも?っていうか過去の自分だったら避けたいのかも。だけど、世界は広くて、見透かすもなにも全て自分に素直でいる人同士だったらそんなことって起きないのよね。「見透かされる」もなにも、隠し事も魂胆もゼロだから。これ、わかりますかね。

自分のなかに「よく見られたい」「人気ものになりたい」とか、魂胆がある時点でそれは嫌われますし、すべて周りにダダ漏れですから、それは本当に理解しておこう。すごくよくわかりますよ、はい。だけど「嫌われてもえーや」って生きている人の潔さと心地よさ半端ないですから、わたしはその人たちといたいと思う。まだまだできていないけど、自分を偽らないことの大切さ、残りの人生かけて克服していくんだから。お待ちくだされ。

さて、お酒の勢いでこうやって文字を書くことが止まらない、明日は朝から仕事がしたいんだよ、お風呂はいれよ、がんばれよ!さらばじゃ